きみを見つけた日

 駅徒歩5分を謳うその店を捜して、ぐるぐると歩き回っていた。勝手知らぬ街ではなかったはずなのに、コンビニエンス・ストアの蜃気楼に惑わされて、結局目的地にたどり着くのに優に15分はかかったあの日、アジアンテイストでもなんでもない、どちらかといえば雑多なカラオケ店にて。わたしがきみを見つけたのは、そんなどこにでもある普通の日曜日のことだった。

 その日、本当ならわたしは新幹線に飛び乗って仙台にいたはずだった。ペンライトの海で溺れながら、また来年もきっとここで会おうとあまりにも不確かな約束を交わすひととき。織姫にすらなれなかったわたしたちが行き着いたのは、自宅から30分ほど電車に揺られ、降りた駅から5つ角を曲がった先にあるカラオケ店だった、というわけだ。

 

 弁解の余地もないのだが、きみを意識するようになった理由の大部分が”あの頃の彼に似ている”ということだった。自分よりも数歩先を行く仲間を一生懸命追いかけて、きっと追い越してやろうともがくその姿にどこか見覚えがあった。所在なさげにかんばせを伏せる仕草も、「スーパーヒーローになる」と言い切るその眼差しも、初めてきみを認識して、きみを構成するものをひとつずつ拾い集めていく中で、もう一度あの頃の彼に出会えたような気がしてすごく嬉しかった。毎瞬「好き」はアップデートされてゆくのに、あの頃に初めて感じたいっとう好きな気持ちはいつまでも変わらないままで。とても失礼なことだと知っていながら、わたしは未だに、ずっと前から好きで今でも大好きなひとの幻影をどこか追いかけてしまう。そんな不純なきっかけでわたしがきみをその他大勢には分類できなくなってしまったこと、どうか許して欲しいと思う。


 ―――光の三原色。赤と青の光を足して出来た紫に緑を足すと白になる。そう気づいてから、きみは立つべくしてその場所に立っているんだと信じて疑わなくなった。まだきみに出会ってから幾ばくもないけれど、どんな輝く未来がきみを待ち受けているかと、わたしはとてもわくわくしているのだ。ちょっぴりツイてないようでツイてるところ。気合と根性でなんでもやってのけるところ。何事にも真摯に取り組んで、手を抜かないところ。わたしはまだ平面のきみしか知らないけれど、絶対に、絶対にアイドルに向いてると、心から信頼している。


 ジュブナイルをキンキンのソーダで割ったのを煮詰めて、その上澄みだけを攫って瓶に詰めたような。屋上で仰いだ飛行機雲とか、坂を猛スピードで下る二人乗り自転車とか、伸びた影が重なるのがうれしかった蝉時雨とか、こっそり家を抜け出して眺めた流れ星とか。きみを見ているとそんないつかの光景がフラッシュバックして、ほんの少しだけ泣きそうになってしまう。

 日が長くなって、雲は立ち上り、去年までは”夏”と呼ばれていた季節がやってくる。今年はそれを何と呼べばいいのか分からないけれど、春は必ず来るというのだから、わたしのよく知っている夏はいつかまた来るのだろう。


 これから先、たくさんのキラメキを手にしていくであろうきみの掌から、もしも欠片がこぼれてしまうことがあるなら。そっと掬いあげて、大切に宝石箱にしまっておきたいと、そんなことを真剣に考えていたりする。ある種の呪縛めいたことをこれから言うから、どうか聞き流して欲しい。髙橋優斗くん、アイドルになることを選んでくれてありがとう。どうかお目にかかるそのときまで健やかに、きみの思う通りに突き進んでくださいね。